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東京高等裁判所 昭和58年(ネ)786号 判決 1985年3月25日

控訴人(原告)

伊藤信枝

ほか二名

被控訴人(被告)

千葉県

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人らの負担とする。

事実

一  双方の申立て

(一)  控訴人ら

1  原判決を取り消す。

2  被控訴人は、控訴人伊藤信枝に対し金一三〇万円及びうち金一〇〇万円に対する昭和四八年九月二二日から、うち金三〇万円に対する同五二年三月二七日から各完済まで年五分の割合による金員を支払え。

3  被控訴人は、控訴人伊藤栄一及び同伊藤喜代美に対し各金一〇〇万円及びこれに対する昭和四八年九月二二日から各完済まで年五分の割合による金員を支払え。

4  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

5  仮執行の宣言

(二)  被控訴人

主文と同旨

二  当事者双方の主張は、次のとおり補足したほか原判決の事実摘示と同一であるから、これをここに引用する。

(一)  控訴人ら

1  本件において事故の真相の判断は、湯浅らの過失の有無の認定上不可欠である。しかして本件事故の真相は、肥後車が対向車線に侵入したのであるから、これと反対の認定をしている湯浅らの捜査結果ないしこれに至つた捜査活動に過失のあつたことが事実上強く推定される。

2  湯浅が本件実況見分調書に喜三郎車が対向車線に進入して肥後車と衝突した旨虚偽記載したことが故意又は過失によるものであることは、次のような事実からも明らかである。

(1) 本件事故直後における湯浅の心証は、同人の証言とおり浮動的だつたのであり、これをそのまま実況見分調書に記載するとすれば、「被疑者不詳」か、せいぜい肥後と喜三郎を「相被疑者」とすべきところ、湯浅は、事故当日の昭和四八年九月二二日、早くも喜三郎を被疑者と断定して同日付実況見分調書を作成している。

(2) 前掲実況見分調書には、交通事故捜査上の最重要事項である事故前の肥後車の速度、肥後が喜三郎車を発見した地点の記載が欠落している。

(3) 湯浅が事故現場を実況見分した当時、肥後車が進行方向に向つて左側に車首を向け斜めに停止して喜三郎車と直線状態に向い合い、両車の間隔は三〇センチメートル程度であつたのにもかかわらず、湯浅は、前掲実況見分調書に、肥後車が同車線上にセンターラインと全く平行に停止しているように描き、また両車の間隔も三・八メートルと記載している。

(4) 喜三郎車を衝突後誰かが動かしたことはないのに、湯浅は、肥後から右のような事実を聞いえ旨証言している。この証言は、真実に反しており、仮に万一湯浅が真実右のような肥後の言葉を聞いたとしても、喜三郎車の破損状態、停止角度、路上における痕跡の不存在等から考えて、肥後の言葉が虚偽であることは容易に見抜けるはずである。

(5) 湯浅は、フロントガラス等の散乱物が衝突地点からかなり離れたところに集中するものであることを一般論としては認めながら、本件の場合は、散乱物の中心が衝突地点であると証言し、自己の誤つた捜査結果を正当化する強弁をしている。

(6) 湯浅が喜三郎が対向車線に入つたとの心証を形成した一番の原因は、喜三郎が飲酒運転をするチヤンスがあつたとの聞込みを状況証拠として、喜三郎が酒を飲んでいたのではないかと事実に反する疑いをもつていたからであると考えられる。

(7) 捜査機関は、捜査が不十分であり、かつ訂正すべきであつたならば、最初の実況見分調書に固執することなく、更に捜査を経続し真相を追求すべきであり、特に本件においては、喜三郎は死亡して死人に口なしの状況であつたうえ、湯浅の上司市原は伊藤昭二の申入れにより再見分を約束していたのに、湯浅らによつて右のような活動がなされた形跡は絶無である。ここにも湯浅があえて捜査を早期に打切り、肥後の過失を隠蔽しようと図つた疑いを禁じえない。

3  市原の新聞発表当時の湯浅の心証は、前記のとおりであつたうえ、伊藤昭二からの再見分の申入れもなされていたのであるから、市原が公正な公務員として喜三郎側の人権にも思いをいたし、湯浅の説明を盲信することなく、客観的、中立的立場で湯浅から本件事故原因につきもう一歩進んで事情を聴いていたならば、新聞発表の内容は、本件の場合とは異なつていたはずである。

社会公共の立場から、交通事故の迅速な報道が必要であるとしても、本件の場合、事故原因については触れないもの、ないしは「目下捜査中」とするものであつても、公共の利益を害するものとは、とうてい考えられない。

(二)  被控訴人

1  湯浅の過失の有無を判定するには、同人が実況見分調書を作成するに際し、いかなる捜査方法によりいかなる事実を認識して心証を形成したか、その心証形成が経験則に反していないかを論ずれば足り、前提として事故の真相の判断が必要となるものではない。なお事故の真相は、かえつて喜三郎車と肥後車とが肥後車走行用車線上で衝突したのであると別件訴訟で確定されている。

2  湯浅の行つた捜査及びこれに基づく心証形成は、次のとおりである。

(1) 湯浅及び補助者並木国臣は、昭和四八年九月二二日午前三時一〇分ころ、本件事故現場に到着し、次のような状況を確認した。

<1> 肥後車が肥後車走行用車線上に、喜三郎車が肥後車走行用車線の進行方向左側の草むらに、それぞれ停止していた。

<2> 喜三郎車のフロントガラスの破片が肥後車走行用車線上に七対三か八対二の割合で多く散乱していた。

<3> 喜三郎車のバツクミラーが肥後車の停止位置の後ろあたり(肥後車走行用車線上)に落ちていた。

(2) 湯浅は、更に、喜三郎車走行用車線の外側のガードレール(白井電柱三七〇号付近)に凹損が存することを認めたので、肥後及び青柳寛から凹損原因を聴取したところ、両名とも青柳車が右ガードレールに衝突したと述べた。そこで、湯浅は、並木と共にガードレールの高さと青柳車右側の損傷部位の高さ、肥後車右側の擦過痕の高さを測定し、肥後車の擦過痕は、ガードレールの高さと照合しないことを確認し、またガードレール凹損部分には青柳車の塗料しか付着していないことを確認した。

湯浅は、肥後車右側の擦過痕及び凹損を観察し、肥後及び青柳から事情聴取したところ、両名とも青柳車の左側が肥後車の右側に接触した旨述べた。

(3) 湯浅らは、肥後が病院に収容された後は、事故現場付近一帯の状況を観察し、本件事故と関連可能性のあるスリツプ痕が存在しないこと及び喜三郎車走行用車線上とガードレール外側には、前記の若干のフロントガラス破片を除いては、事故関連物が存在しないことを確認し、湯浅においては青柳から青柳車と肥後車との事故について聴取し、午前四時四〇分ころ、実況見分を終了した。

(4) 湯浅らは、その後、喜三郎及び同乗者熱田英男が収容されている病院へ行つたが、明るくなつたころ、再度本件事故現場に戻り、約二〇分間、スリツプ痕の有無やガードレールの凹損部分の塗料付着状況等を再確認したが、実況見分時の認定結果と同一であつた。

(5) 湯浅は、以上の捜査を経て、前記(1)の<1>ないし<3>の事実を重視して、本件事故に関する心証を形成した。一度は肥後車右側の擦過痕及び凹損の存在から、肥後車が白井電柱三七〇号付近のガードレールに衝突した可能性も一応疑つてはみたが、塗料付着状況の観察等により、それはないものと判断し、結局、喜三郎車と肥後車とは、肥後車走行用車線上で衝突したものと判断した。

このように湯浅の心証は、充分な捜査により慎重になされたものであり、また合理的な経験則に基づくものである。したがつて湯浅には過失がない。

三  当事者双方の証拠の関係は、原審及び当審記録中の証拠関係目録記載のとおりであるから、これをここに引用する。

理由

一  当裁判所も控訴人らの本訴請求をいずれも棄却すべきものと判断する。そして、その理由は、次のとおり付加、訂正するほか原判決の理由説示と同一であるから、これをここに引用する。

1  原判決一二丁裏五行目の「各記載」の次に、「、当審証人湯浅三郎の証言」を加入する。

2  同一四丁表四行目の「湯浅が肥後から」を削除し、そのあとに、「喜三郎及びその同乗者熱田英男は既に病院に運ばれており、肥後は前記第二事故により左足を骨折して出血し、かなり重傷であつたため、湯浅は、救急車を手配し、それが来るまでの短時間、肥後に対し、衝突地点等本件事故に関する重要な点について指示説明させて」を加入する。

3  同一四丁裏一〇行目の、「持つたものの、」の次に、「本件事故現場は、肥後車進行方向に進む車が右側センターラインをはみ出すスリツプ事故が多発する地帯であつたうえ、」を加入する。

4  同一五丁裏二行目の「持つたが、」の次に、「肥後は、これを否定し、かつ、」を付加する。

5  同一七丁裏八行目の「事故の当日、千葉中央警察署の」を「事故当日の未明、喜三郎らの収容された病院に赴く途中、本件事故現場を通りかかつて状況を一見した後、右病院における湯浅の説明から、同人が喜三郎車がセンターラインを越えたとの心証をもつていることを知り、再度現場に行つて調べたうえ、同日千葉中央警察署に赴き、」と訂正する。

6  同一八丁表六行目の「右証言内容は信用することができない。」を「右証言内容中スリツプ痕の点は信用することができず、ひいて部品落下地点の点もたやすく信用しがたく、またたとえ喜三郎車の部品の一部が何程か同車走行車線に落下していたとしても、後記判断を左右しない。」と訂正する。

7  同一八丁裏一〇行目の次に次の一項を加入する。

「4 控訴人らの当審における主張について

控訴人らは、本件において事故の真相の判断が不可欠であるとし、その主張するところの真相を前提として湯浅らの過失が推定される旨主張するが、これを採用することはできない。警察の捜査に関連して不法行為(本件では実況見分調書虚偽記載と新聞発表内容)の成否を判断するには、もとより当該捜査活動の時点に立つて違法性及び故意過失の有無を論すべきところ、本件における当時の捜査活動(新聞発表を含む。)の経過及び内容は前認定のとおりであつて、被控訴人側に捜査機関として要請される合理的な慎重さを欠いたものであるとは認めることはできない。本件事故は、衝突地点自体に当初から主張対立があり、喜三郎は即死し、青柳の第二事故が重なるなど、種々問題点があつて、各成立に争いのない甲第一四、第二四号証、乙第一号証(各判決正本)によつて認められるとおり、基本となる別件訴訟においても第一、二審の判断が異るほど困難な事件であること、また前記のとおり伊藤昭二の再調査申入れがあつたことを考慮に入れても、およそ事件に対する判断は流動的なものであつて、初動捜査にあたり全く白紙の事件を一定の判断を加えつつ速かに調査しなければならない捜査機関につき、その後の捜査、更に裁判で判明したことを基準として、たやすく捜査上の過失を問題にすることはできない。したがつて本件において本件事故の真相なるものを新たに判断する意味はないというべきである。

また控訴人らは、湯浅及び市原の故意過失の論拠として種々の主張を追加するが、いずれも前認定を左右することはできない。」

8  同一八丁裏一一行目の「以上のとおり、」を「以上のとおりであつて、即死者である喜三郎の全面的過失であるとの捜査結果にその遺族である控訴人らが納得しない心情はある程度了解しうるとしても(もつともこの点が如何にして控訴人に対する不法行為となる余地があるかについても問題があるが、これはさておく。)、」と訂正する。

9  同一九丁表一行目及び二行目の各「違法」の前に「故意過失による」を加入する。

二  してみれば、右と同旨の原判決は相当であつて、本件控訴は、理由がないからこれを棄却することとし、控訴費用の負担について民事訴訟法九五条、九三条、八九条を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 小堀勇 時岡泰 山崎健二)

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